Jul 19, 2010
業務報告の価値を大きく変える社員研修
合宿型の社員研修に参加し、仕事に対する態度意欲が急に変わった。モチベーションが上がり、人が変わったように積極的になってやる気満々になった。教育を受けた人々からそのような経験談をよく聴いています。漫然と仕事をしてきた人々にお尻をキックカツを入れて自分で認識し、自己改革をしている社員研修のプログラムはすごいですそのように指導講師の手腕は素晴らしいと思います。二回目の入院が決まった。入院したくないが仕方がない。身体を治療しないと、これから何もない。入院の必要書類をクリアファイルに入れていつでも分かるようにしておく。ファイルは、便利で携帯しやすい。もっとコンパクトになればもっといいなと思っている。入院の必要書類をクリアファイルを家族に任せられる。先生に聞いてみると、ファイル転送ください。
仙台市交通局は13日、市営地下鉄の運転を14日から全17駅中13駅で再開すると発表した。残りの4駅はレールのゆがみや駅舎に損傷があり、復旧のめどは立っておらず、当面無料バスを運行させるという。
市内約8000世帯のうち7割以上が津波にのみ込まれたとされる岩手県陸前高田市。街は見渡す限り、がれきや泥に覆われていた。
ランドセルがあった。子供用の靴下があった。つい数日前まで当たり前だった生活が失われた現実を目の当たりにし、胸が痛くなった。毛布に覆われた遺体もあちこちにあった。消防団の男性は「がれきが邪魔で、作業が全然進まない。生き残っている人を助けたいのに」と嘆いた。
「確かここらへんのはずだけど」。木の棒をつえ代わりにぼうぜんと立ち尽くす男性がいた。同市高田町に住む菅野(かんの)勝也さん(71)。弟正行さん(68)と連絡が取れず自宅を訪れた。家があったはずの場所には、約2キロ離れた広田湾沿いに立ち並んでいたマツが散乱していた。住宅は軒並み流され、原形をとどめるのは市役所や病院など数施設だけだ。「もう、だめかもしれんね」
がれきをかき分けている5歳ほどの女の子にも出会った。大切にしていた人形を捜しているという。「お父さんは?」「流されちゃった」
間もなく、自衛隊員がクラクションを鳴らして「津波が来るぞー」と注意を促した。余震があったらしい。自宅の状況を確認に戻ってきた人や救助活動中の消防団員が、一斉に高台に向かって駆け出した。時々後ろを振り返るその表情は一様にこわばっている。津波はこなかった。
「まったく落ち着かない。精神的にこたえるね」。40代の女性が息を切らしながらぼやいた。
◇
陸前高田市は1960年のチリ地震で津波の被害を受けた経験から、毎年避難訓練を実施してきた。しかし今回の津波では、市が一時避難場所に指定した高台にある小学校の校庭などにも波が押し寄せた。戸羽太市長は13日、「私自身も津波の襲来を知り、役所の屋上に上がった時には既に屋上から1?2メートル下まで水がきていた。対策を甘く考えていたわけではないが、まさか10メートル近い波が来るとは想定していなかった。信じられなかった」と話した。【三上剛輝、稲垣衆史】
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東日本大震災の発生から3日目の13日、明らかになりつつある被害状況は拡大の一途をたどり、死者が1万人単位に及ぶとの見方も出てきた。難航する救出作業、あふれる避難所、行き届かない食料や物資。福島第1原発1号機の爆発事故で、新たに約8万人の住民が避難を余儀なくされ、想像を絶する巨大地震に襲われた被災地は、大きな不安や疲労に包まれた夜を迎えた。
【想像を絶する被害】東日本大震災 発生当日の様子を多量の写真で
「早く逃げてください」??。街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど壊滅した。多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいた。
「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。同町の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。娘の未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。地震後も役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。
難を逃れた町職員(33)によると、地震から約30分後、高さ10メートル以上の津波が町役場を襲った。助かったのは10人。庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。その中に未希さんはいなかった。
遠藤さんは「(生き残った職員から)『未希さんが流されるのを見た』という話を聞いた。もうダメだと思う」とつぶやいた。
地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さん(61)は「6メートル強の波があります。早く逃げてください」という未希さんの放送の声を聞きながら、携帯電話だけを持ち、着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。停電で信号が動いておらず、周辺道路は渋滞していた。高台への道路を上がる時、振り向くと渋滞の列からクラクションが鳴り響き、その背後から津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。
芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、数十メートルの高さの高台に逃れた。車を降りて避難所の階段を上がった。遠藤さんもたまたま避難していた。
芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。「娘さんの声がずっと聞こえたよ」
高台から見下ろす街は濁流にのみ込まれていた。【比嘉洋、写真も】
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